はじめに
18期の自称文字班のイカ爆弾です。10/31にハロウィンLT大会企画でこういうLTをさせてもらいました。
今回はこのLTでしれっと導入した人工言語をもうちょっと詳しめに解説します。
人工言語、なに
人工言語の(私が取る立場としての)定義は非自然言語です。では自然言語がどのように定義されるかというと、
- その言語が母語として習得されている/されていたことがあって、しかもその言語によって社会が作られている
- その言語の母語(相当)話者によって自然に扱われる
という2点によります。前者は一般的な自然言語についての定式で、後者はそれを拡張するための条件付けです。自然に扱われる、というのはここで母語(相当)話者による造語や正文法にない文法が新たに導入されていても「普通に」用いられているならそれは自然言語を逸脱しない、というぐらいの意味を持ちます。 具体例としては、2016年の京都大学11月祭の全学統一テーマ
ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw 京大からのNFで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw や、漏れのモタクと化したことのNASA✋ そりでわ、無限に練りをしまつ ぽやしみ~
を見ることができ、この謎の文はかなり日本語での一般的な語彙や正文法から逸脱していますが日本語という自然言語の範疇に収まっています。このような例から、上記の条件で自然言語の範囲を定めることとしました。 ではどうしたらこれは人工言語になれるのか、というとそれは簡単で、日本語であれば日本語話者が「普通だ」とみなさない異常単語や異常文法を入れればそれだけで成立します。例えば動詞の格変化を消滅させるとか、突然一人称だけWúに置換するとかで可能です。見て取れるように、これがもし日本語話者の多数に普通に普及したら人工言語ではなく自然言語になるので、この辺の境界は多少曖昧です。 逆に、この定義からは人工言語になるハードルはそんなに高くないということもわかります。自然言語として認められる言語の数は(その表現法が有限であるため)高々有限で、対してここで文字列をなすものをすべて言語として認めると、ほとんどすべての言語は人工言語になります。全く文法などの制約が無い言語なんてあるのか、という問いに対しては「ここでだけ登場する単語/文法がある」を適当な回数繰り返すことで回避できます。ずるいように思われるかもしれませんが、自然言語にもそういうのが存在するので言語のカスの部分と思って諦めてください。 そうは言っても、全くルール無き言語は相互理解可能性を失って言語としての役割を失うなどがあるので制約を設けたものを考えます。
人工言語の例: Esperantoとプログラミング言語
おそらく人工言語と言って一番通りの良い言語は、L. L. Zamenhof氏によるEsperantoでしょう。カタカナ訳はエスペラントです。Esperantoはもともと汎ヨーロッパ的な共通語として使われるために考案され、格変化を伴う明快な文法とヨーロッパの諸言語のあちこちから (時折ヨーロッパ外の種々の言語からも) 拾われた単語の変形によってEsperantoの単語帳は構築されています。このへんに功罪があり、まあいろいろ言うことはできるのですが面倒なので省略します。なお格変化はあったほうが楽です。 Esperantoの文法と語法は接頭辞と接尾辞 (語の前後にくっついて意味を補助するもの) の多用および格変化に例外をほとんど設けないことによって特徴づけられていて、語幹を辞書で引けば「こういう意味を言いたいからこういう変化」と演繹できます。ほとんどすべての自然言語でも演繹自体はできますが、文法上の例外によって阻害されたり、正文であっても「それは母語話者が言わないからだめ」などといった理由によって正しくない演繹とされたりすることがままあります。日本語の例ではカ行変格活用(「来る」のみ)などが例外に当たります。この意味で、人工言語は自然言語と比較してプログラミング言語に近いと言われることがあります。 では、プログラミング言語は人工言語と言えるでしょうか。上記の定義上は言えますが、実際にプログラミング言語に自然言語を翻訳してみよう、と考えるのは多少無謀だとちょっとでもプログラミングをしたことがある人ならわかると思います。しかし、特殊用途(プログラミング)についてであれば十分に表現能力があり、むしろその特殊用途に限って言えば自然言語に翻訳することこそ困難である (自然言語の表現能力が貧弱過ぎる) ということもわかります。座右の銘を再帰関数を用いて定義してみたりすることも面白いですが、本を一冊訳せと言われると相当量の造語・造文法をする必要があるでしょう。そのような処理を受けたその言語はもはやもとのプログラミング言語ではなくなり、新たなまったく別の人工言語になってしまっていることがほとんどだと考えられます。 この変形は、ある人工言語が別の目的によって新たな別の人工言語に作り変えられたということである、とみなすことができます。自然言語を人工言語に変形する際や、特に元となる言語を定めずに人工言語を作る場合であっても同様に一般的に何らかの目的によって作られたという考え方をすることができ、従ってある人工言語を見る際にはその用途も検討することが役に立つ傾向にあります。
特殊用途のための人工言語
Esperantoは上記説明のとおり国際共通語を志向した言語であり、すなわち日常会話から専門的な会話まで、今英語が担っているような役回りを引き受けんとするような目的を持っています。すなわち表現力の高い分野も英語のそれと比較的被り、論理的説明などは比較的用意にできます。 一方で、人工言語を作るのなら限定された特定の目的に特化することがもでき、その一例が上記のプログラミング言語ですが、他の例として芸術目的の言語があります。芸術目的と言ってもそんな大層なものではなく、ほとんどの場合娯楽目的の人工言語です。具体例を挙げるとクリンゴン語やヒュムノス語(後述)、Juliamoなどがあります。 JuliamoはEsperantoを変形した言語で、カタカナ訳はユリアーモです。文法や基本的な単語をEsperantoから踏襲しつつ、文字を変更して不足する単語などを補ったものがJuliamoになっています。これが使われているのはことのはアムリラートという純百合ADVで、ヒロインがかわいい上にEsperantoを学ぶことができるお得なゲームです。Steamでの購入リンクはこちら。 https://store.steampowered.com/app/1044490/The_Expression_Amrilato/ (宣伝おわり) 僅かな変化ではありますが、これも既存人工言語から新たな人工言語を作り出した例です。
ヒュムノス語
ここからは人工言語とそれを用いた一作品の両方の布教をします。ヒュムノス語が用いられている作品はアルトネリコシリーズで、ヒュムノス語は厳密には単一言語の名称ではなく言語群の名称です。ヒュムノス語と総称されるものの中には第一期成語、新約パスタリエ、アル・シエラなどと呼ばれる人工言語があり、この中で正文法が見た目的に面白いので新約パスタリエを取り扱います。 このゲームではストーリー中にも若干ヒュムノス語が登場しますが、メインはその楽曲での取り扱われ方になります。CDも新規販売が無いし入手手段を用意しない方が悪いのでyoutube上の割れ楽曲を貼るのもやむなしという気は無くはないんですが、ここでは歌詞の引用に留めます。この歌詞を具体例として新約パスタリエの説明をし、これで面白さが伝わればと思います。 引用する楽曲の曲名は『METHOD_REPLEKIA/.』です。全編新約パスタリエによる歌詞になっており、志方あきこ氏による歌唱が迫力あるので是非興味があれば聞いてみてください(宣伝)。なお、本来はヒュムノス文字を用いた歌詞になっているのですが、都合上ラテン文字転写によるものを利用します。歌詞の一部を引用すると、 “xO rre mLYOtOyOyO giz wOsLYI du giz/.” (公式訳:『恐怖を生むものに恐怖を!』) となっています。この文を文法から砕いて読んでみます。ちなみに読みはゾ レ ムリョトヨヨ ギズ ウォスリ ドゥ ギズみたいな感じです。 まず、新約パスタリエでは大文字は固有名詞などの例外を除き動詞中にしか現れず、しかも必ず感情を表現します。A, E, I, O, U, Nの6母音があり、これ単体では一人称、Yが前に付けば二人称、LYが前に付けば三人称 (場に対する感情、対象を取らないこともある) になります。例えば、Oは「怒り、攻撃的、呪い」を意味し、Eは「喜び、幸せ、快楽」、Oは「私は怒っている」、YOは「お前を呪う」、LYOは「滅べ」ぐらいのことを意味することができます。 次いで、感情表現までいちいち書いてると面倒なので一旦それを全部抜きます。すなわち、動詞中の大文字を全部バンクピリオドに差し替えて逐語訳をしてみます。 x. (コピュラ)、rre (主語定義)、m.t.y.y.「生み出す」、giz「恐怖」、w.s.「与える」、du「~を」となっています。コピュラは文法上の必要によって置かれているが特に意味をもたない単語で、日本語では「は」「が」相当です。英語では存在動詞がコピュラ化していて、実際公式ヒュムノス語訳ではx.は「(be動詞に相当)」と書いてあります。主語定義rreは直後の名詞もしくは名詞句を主語とみなす単語で、これが省略された場合は一人称になります。rreの直後にm.t.y.y. gizがあるので主語は「恐怖を生み出す者/こと」、それが/それにw.s.「与える」、duがあるのでここまでで「恐怖を生み出すものに与える」。最後に何を、がgiz「恐怖」になるので「恐怖を生むものに恐怖を!」になるわけです。これだけでも感情はそれなりに汲めるのですが、文法中に感情が組み込まれているのでそこもちゃんと見ていくと美味しいので見ていきましょう。 新約パスタリエでの感情を表示する大文字は、常に話者の感情を表します。謳には基本若干ストーリーが乗るのでそこに感情移入することもあるのですが、主語が一人称でないところであっても常に同じものが示されます。この例文の動詞を抜粋してみると、 xO, mLYOtOyOyO, wOsLYI の3単語があります。それぞれを見てみましょう。 xOについて、これはコピュラなので文法上要求される単語というだけでそこまで深い意味はついていません。ただし、端的に話者の感情を表示する効果があります。この場合はO「怒り、攻撃的、呪い」ですね。「私は恐怖を生むものに恐怖を、と呪う」みたいな感じです。 mLYOtOyOyOについて、「生み出す」です。なおヒュムノス語の動詞はわりとカジュアルに名詞化するので、「生み出すもの」「生み出すこと」ぐらいの解釈もセーフらしいです。文法上の主体と感情の主体が一致していないので若干食い違いますが、LYO「(場に対する)攻撃性、呪い」を踏まえると、また同じ感情を複数書いてあるとそれは感情の強いことを意味することを踏まえると、こうガーっとめちゃめちゃその単体に対して怒って、場に対しても呪ってる感じですね。 wOsLYIについて、「与える」です。Iは「苦痛、逃げたい、恐怖」を意味するので、呪いながらぶん殴りつつ同時に場から逃げたいとも思っている感じでしょうか。総合すると、「私は恐怖を生むものを呪殺したいと思いながら、恐怖を逃げたい気持ちと怒りのないまぜのまま与えようとする」ぐらいになります。めちゃめちゃ圧縮されるの面白くないですか?私は死ぬほど面白いと思います。 このように自然言語ではまず成立しないような表現も成立させられるのも人工言語の魅力の一つです。
おまけ
人工言語はわけのわからないものをわけのわからないまま楽しむという面もあります。わかっちゃうとかっこよくないし(偏見)、わかっちゃうと神秘的じゃないので(ド偏見)、ぜんぜんわからんものが用意されていると嬉しいんですね(スーパー偏見)。ブログの終わりの1文だって人工言語で書くだけでなんかすごそうに見えてきます。そのように、自然言語ではどうしてもなし得ないところが人工言語にはあり、さらに自分の手でそれを作ってしまうことができる、すなわち自然言語特有の煩わしい不正解に囚われずに済むというメリットもあります。どうですか、人工言語に興味が湧いてきたりしませんか? それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。 xE nLYEegE yorr naflansee ag afezeria!
参考にしたサイト
統一テーマ – 京都大学11月祭 https://nf.la/about/themes.html - 2016年の11月祭統一テーマについて HYMMNOGRAM http://fau-varda.net/Hymmnogram/ - ヒュムノス語翻訳の参考 HYMMNO SERVER. http://game.salburg.com/hymmnoserver/index.php - 公式ヒュムノス語文法解説(すごく詳細というわけではないので正文かどうかは実例の観察によるところが大きい)
おまけ(2)
"afezeria" のヒュムノス文字表示